①長年滞留するベテ&わかってないふぞを狙い撃つべく、②与件の根拠を増やして事例が80分で解けなくなる時、③手順を増やすより削る方が先と知るのが普通の人類。(100字)
合格さえすりゃ言い放題と、実際やってもいない手順をマシマシにしてさらに80分で解けない悪循環へ。それが悪名高いD社のノウハウ商法です。
平均的な日本人よりオツムが弱いノロマが「試験合格!」の夢を騙ると手に負えない。さらに長文ノウハウ騙って悪目立ち→狙い撃たれて8割ショボンと心底ウケるな。
あまりの難化に9,000人が頭まっ白、全員の答がバラッバラ。一体どう採点したのか?
"2 代目経営者は、プロジェクトごとに社内と外部の協力企業とが連携する形で事業を展開してきたが、 3 代目は、 2 代目が構築してきた外部企業との関係をいかに発展させていくことが求められるか、中小企業診断士として 100 字以内で助言せよ。"
B社は資本金300万円、社長を含む従業者数15名の豆腐の製造販売業者である。B社は清流が流れる地方都市X市に所在する。この清流を水源とする地下水は良質な軟水で、滑らかな豆腐づくりに向く。
1953年(昭和28年)、現社長の祖父がX市の商店街にB社を創業した。地元産大豆、水にこだわった豆腐は評判となり、品評会でも度々表彰された。なお、X市は室町時代に戦火を避けて京都から移り住んだ人々の影響で、小京都の面影を残している。そのため、京文化への親近感が強く、同地の職人には京都の老舗で修業した者が多い。同地の繁盛店は、B社歴代社長、新しい素材を使った菓子で人気を博す和菓子店の店主、予約が取りにくいと評判の割烹の板前など京都で修業した職人が支えている。
1981年(昭和56年)、創業者の病をきっかけに、経営は息子の2代目に引き継がれた。その頃、X市でもスーパーマーケットなど量販店の出店が増加し、卸販売も行うようになった。従来の商店街の工場兼店舗が手狭になったため、良質な地下水を採取できる農村部の土地に工場を新設した。パートの雇用も増やし、生産量を拡大した。
2000 年(平成 12 年)、創業者の孫にあたる現社長が、京都での修行を終えて B 社を継承した。その頃、地場資本のスーパーマーケットからプライベート・ブランド(PB)の製造呼びかけがあった。国産大豆を使いながらも、価格を抑え、集客の目玉とするPB であった。地元産大豆にこだわった祖父と父のポリシーに反するが、事業拡大の好機と捉え、コンペ(企画競争型の業者選定会)に参加し、受注に成功した。そしてPB 製造のための材料用倉庫と建屋も新築し、パートも増やした。その後、数度のコンペで受注契約を繰り返し、最盛期は B 社売上比率の約半分が PB で占められた。しかし、2015 年(平成 27 年)のコンペで大手メーカーに敗れ、契約終了となった。
■「事例Ⅰ」「Ⅱ」ともに与件前半の段落は解答に使わないダミーであることが殆ど。
■上の与件の第1~4段落はほぼダミー。第5段落から作問係の本気が始まり、各設問根拠混ぜ混ぜの第9~10段落でピークを迎える。
事例のクロスオーバー化+80分では解けない+あえて前半に置かれるダミー段落。これら全てが「ベテとふぞから落とすため」と仮定すると、全ての謎がツナがります。
今日のまとめ
合格者のノウハウを騙り、要らない手順を抱えるデブから試験でショボン。変化が激しい業界は持たざる経営=ファブレスが大事とR3「Ⅰ」で教わっただろ?